--2020年5月19日以前の記事で画像が障害により表示できてません。--
名古屋城その1 市役所駅周辺の桜 [栄と名古屋城 周辺]
2018年3月下旬の撮影。
これから数日にわたって、名古屋城桜の記事。
4月中旬現在、名古屋はもう葉桜です。
今日は、名古屋城の最寄駅 市役所駅周辺から正門直前まで。
1枚目。3月29日オープンした金チャチ横丁宗春ゾーンとさくら。
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市役所駅のコンコースにあった、名古屋城内郭絵図
この絵図の説明文。
名古屋城は、江戸幕府を創始した徳川家康が、江戸城・駿府城に次いで最後に造営した日本の
近世を代表する大城郭である。
本絵図は、その名古屋城がもっとも整備された時代の内郭全容を復元したもので、尾張徳川家
初代義直の寛永末期(1640頃)から、二代光友の寛文末期(1670頃)にかけての状態を示す。
名古屋城が計画された慶長後半期(1610年代)は、日本城郭史上の大転換期にあたっていた。
織田信長の創始をした安土城天守以来の伝統を、太平の江戸幕府治世において止揚すべく、小堀遠
州守正一等を奉行とし、加藤清正等の主として西国大名を動員して、いわゆる「天下普請」の国家
的規模で建設されたのである。
それを企画指導した中井大和守正清は、すでに経験している伏見城・二条城・江戸城・駿府城
造営の技術を集大成しており、幕府城郭建築の規模をこの名古屋城で最終的に定めた歴史的意義
は極めて大きい。名古屋城以後に造営された元和・寛永度江戸城、寛永度二条城、寛永度大坂城
等はすべて、名古屋城の天守・櫓・御殿・御庭等の様式を踏襲している。特に金鯱の輝く大天守
は、日本城郭史上最大級の建築面積をもつ木造の高層建築であったことで有名である。
そして家康没後の元和・寛永期(1620~1630)にかけては、二之丸御殿を尾張藩正庁として造営
し、さらに三代将軍家家光のための本丸御成書院(上洛殿)や、二之丸北御庭聖堂・下御深井御庭・
三之丸東照宮等を整備し、江戸城と同等の結構を整えたのである。わけても二之丸北御庭は日
本史上前例をみない中国明式造庭をおこない、そこに建てた聖堂(金声玉振閣)は、幕府が林羅山
をして開創せしめた上野忍岡聖堂(昌平坂学問所の前身)のモデルとなる程に武家文化を先駆的に
示していて貴重であった。加えて、下御深井御庭は、御水尾天皇(上皇)が造営した修学院離宮と
同様の大回遊式庭園で、公家文化を継承するものであった。後のことではあるが、さらに門前町
や宿場町をも造営して町人文化をも満喫できるように設計されていた。
要するに名古屋城は、日本の近世文化を代表する都市施設であったわけで、そのためにこそ、
「尾張名古屋は城でもつ」といわれてきたのである。
名古屋市営地下鉄名城線 市役所駅の出入り口。
この出入り口が名古屋城の最寄口です。
左奥に写っているのは、手前が名古屋市役所、奥側が愛知県庁の建物。
市役所駅すぐそばにあるのは、金シャチ横丁 宗春ゾーン。
新しいなごやメシが食べられる。
撮影したのはオープン直前で営業前でした。
名古屋城には何回か来たことありますがいつも東門ばかりでしたので、
少し遠いですが正門まで行きます。正門に行って正解でした。
名古屋城外側のお堀にあった桜。
市役所駅から正門へ行くには西側へ行きます。
途中、道路の向かい側には、
リニア中央新幹線の名城非常口建設場所が見えました。
このあたりは地下を通ります。
徒歩10分くらいで正門に近づいてきました。
これはきれいでした。
名古屋城正門近くにあるのは、正統派のなごやメシが食べられる
義直ゾーン。 開業前でしたので中には入れません。
金チャチ横丁オープン後テレビでも何度か特集されていてかなり混雑していた。
名古屋城の中にも名古屋名物が食べられるところはありましたが、
城外にいろいろ食べられるのはいいものを作ったと思う。
ほかのお城でも広まるのかな。
イトーヨーカドー春日部店がまた、サトーココノカドーへ。
クレヨンしんちゃんのなかに出てくるスーパー。
遊び心があっていいですね。
埼玉県まで遠くて行けないけど行きたーい。
レシートもサトーココノカドーに期間限定で変更しているのだとか。
こちらの記事もどうぞ。
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これから数日にわたって、名古屋城桜の記事。
4月中旬現在、名古屋はもう葉桜です。
今日は、名古屋城の最寄駅 市役所駅周辺から正門直前まで。
1枚目。3月29日オープンした金チャチ横丁宗春ゾーンとさくら。
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市役所駅のコンコースにあった、名古屋城内郭絵図
この絵図の説明文。
名古屋城は、江戸幕府を創始した徳川家康が、江戸城・駿府城に次いで最後に造営した日本の
近世を代表する大城郭である。
本絵図は、その名古屋城がもっとも整備された時代の内郭全容を復元したもので、尾張徳川家
初代義直の寛永末期(1640頃)から、二代光友の寛文末期(1670頃)にかけての状態を示す。
名古屋城が計画された慶長後半期(1610年代)は、日本城郭史上の大転換期にあたっていた。
織田信長の創始をした安土城天守以来の伝統を、太平の江戸幕府治世において止揚すべく、小堀遠
州守正一等を奉行とし、加藤清正等の主として西国大名を動員して、いわゆる「天下普請」の国家
的規模で建設されたのである。
それを企画指導した中井大和守正清は、すでに経験している伏見城・二条城・江戸城・駿府城
造営の技術を集大成しており、幕府城郭建築の規模をこの名古屋城で最終的に定めた歴史的意義
は極めて大きい。名古屋城以後に造営された元和・寛永度江戸城、寛永度二条城、寛永度大坂城
等はすべて、名古屋城の天守・櫓・御殿・御庭等の様式を踏襲している。特に金鯱の輝く大天守
は、日本城郭史上最大級の建築面積をもつ木造の高層建築であったことで有名である。
そして家康没後の元和・寛永期(1620~1630)にかけては、二之丸御殿を尾張藩正庁として造営
し、さらに三代将軍家家光のための本丸御成書院(上洛殿)や、二之丸北御庭聖堂・下御深井御庭・
三之丸東照宮等を整備し、江戸城と同等の結構を整えたのである。わけても二之丸北御庭は日
本史上前例をみない中国明式造庭をおこない、そこに建てた聖堂(金声玉振閣)は、幕府が林羅山
をして開創せしめた上野忍岡聖堂(昌平坂学問所の前身)のモデルとなる程に武家文化を先駆的に
示していて貴重であった。加えて、下御深井御庭は、御水尾天皇(上皇)が造営した修学院離宮と
同様の大回遊式庭園で、公家文化を継承するものであった。後のことではあるが、さらに門前町
や宿場町をも造営して町人文化をも満喫できるように設計されていた。
要するに名古屋城は、日本の近世文化を代表する都市施設であったわけで、そのためにこそ、
「尾張名古屋は城でもつ」といわれてきたのである。
名古屋市営地下鉄名城線 市役所駅の出入り口。
この出入り口が名古屋城の最寄口です。
左奥に写っているのは、手前が名古屋市役所、奥側が愛知県庁の建物。
市役所駅すぐそばにあるのは、金シャチ横丁 宗春ゾーン。
新しいなごやメシが食べられる。
撮影したのはオープン直前で営業前でした。
名古屋城には何回か来たことありますがいつも東門ばかりでしたので、
少し遠いですが正門まで行きます。正門に行って正解でした。
名古屋城外側のお堀にあった桜。
市役所駅から正門へ行くには西側へ行きます。
途中、道路の向かい側には、
リニア中央新幹線の名城非常口建設場所が見えました。
このあたりは地下を通ります。
徒歩10分くらいで正門に近づいてきました。
これはきれいでした。
名古屋城正門近くにあるのは、正統派のなごやメシが食べられる
義直ゾーン。 開業前でしたので中には入れません。
金チャチ横丁オープン後テレビでも何度か特集されていてかなり混雑していた。
名古屋城の中にも名古屋名物が食べられるところはありましたが、
城外にいろいろ食べられるのはいいものを作ったと思う。
ほかのお城でも広まるのかな。
イトーヨーカドー春日部店がまた、サトーココノカドーへ。
クレヨンしんちゃんのなかに出てくるスーパー。
遊び心があっていいですね。
埼玉県まで遠くて行けないけど行きたーい。
レシートもサトーココノカドーに期間限定で変更しているのだとか。
#帰ってきたサトーココノカドー
— 春日部ニュースch (@kasukabe_news) 2018年4月9日
サトーココノカドーの屋上看板も新しいデザインが
期間は4月11日から5月6日!あと、サトーココノカドーが春日部に登場してから1年が経ちます!
お友達や友人お誘い合わせの上サトーココノカドー春日部店に来れば?♪#サトーココノカドー春日部店#kasukabe pic.twitter.com/OhR5jNfptk
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土日は天気が悪そうですが、予報が外れたら散歩がてら行ってみたいです。
by tsun (2018-04-13 09:46)
クレヨンしんちゃんいいですね
期間限定と言わずにずっとやればいいのにね
by み〜 (2018-04-13 20:10)
「義直ゾーン」もあるし「宗春ゾーン」は
徳川宗春公に因んだものなんですね(^^)
by middrinn (2018-04-13 21:45)
いつか、鶴橋で降りてみてね。
迷路のような商店街、けっこう楽しいですよ。^^
by hatumi30331 (2018-04-13 23:54)