南側
6月に全面公開される予定の本丸御殿や栄のテレビ塔などが見えます。
東側
お堀?に石が?
展望室お土産売り場の上部にかかげてあった絵。
なんだかわかりませんが、拡大してみると、「名古屋城より見える四方の山山」だそうです。
絵もはっきりしないし、文字も小さすぎ。
展望室にあった名古屋城の説明。
暗くて、字が一部細かくて読めません。
カメラのフラッシュで撮影して文字起こしました。
名古屋城は、今を去るおよそ350年前関ヶ原の
合戦の後、天下の大半を掌握した徳川家康がその子
義直のために清州より名古屋への遷府を決意し加藤清正
前田利光、福島正則、池田輝政等北国西国の諸大名二十名に
命じて完成させた代表的な平城である。
以来尾張候の居城、陸軍省鎮台あるいは名古屋離宮と時代
とともに変遷を重ねてきたが昭和5年12月離宮の廃止と
同時に名古屋市に御下賜となり一般公開されることとなった。
その間大小天守閣御殿櫓門など建造物及び御殿内の障壁画
の古美術は国宝に指定されていたが惜しくも
昭和20年5月14日の空襲によりそのほとんどが灰じんに帰して
しまった。
焼失後十余年、内外ひとしくその再建を渇望しついに昭和
34年10月、2年有余の歳月と約6億の巨費を投じた再建工事
はここに完成するところとなった、時代の進運にともない復元
とはいいながら近代的施設を加味し観光施設、文化施設
として面目を一新して再び昔ながらの雄姿を現したのである。
顧みるに名古屋城も長い年月の間に形の上では多くを
失った。併しながら伝存する石垣は訪れる人々に築城
のいにしえを伝え、又再建なった天守閣は往時の城郭
建築の粋をしのばせ更には焼失を免れた障壁画の
名作は、絢爛たる本丸御殿をまのあたりにうかばせてくれ
るのである。他面これらの封建時代を記念する文化
遺産は歴史的にも価値高い文化財として観光施設の
中核をなし、たぐいない存在として国内は勿論
海外との交流をも媒介し国際都市名古屋の誇りとして
輝いているのである。
この説明の中で
時代の進運にともない復元
とはいいながら近代的施設を加味し観光施設、文化施設
として面目を一新して再び昔ながらの雄姿を現したのである。
昨日の記事では、行き過ぎた表現で気分を害した方には申し訳なかったのです。
nikkiは若くはありませんので、地階から展望室のある7階まで上るのは大変だとは思います。
展望室のある5階から7階までは階段しかないので、
上るのには少し大変かもしれません。
「愛知障害フォーラム」はなぜ名古屋城木造再建でエレベータにこだわるのだろう。
階段移動は介護用の電動アシストロボットでの代用ではいけないのだろうか。
名古屋城には、江戸時代の状態を忠実に再現できるだけの豊富な資料が残っている。
車いす用のエレベータを設置するには設計変更が必要になってきて
木造再建する意味がなくなってしまう。
あまり木造再建の議論にはなっていないが
階段の角度もそのままにするのだろうか。
先日限定公開されていた戦災で燃えてない隅櫓の階段角度が急でした。
愛知障害フォーラムは、文化庁まで文書を送って
エレベータを付けなければ再建を認めないようにするとしているが、
文化庁がエレベータを付けることを許可するとも思えない。
木造再建の前に行う石垣の調査もまだ始まってない。
明日は石垣まわり。
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