日本各地にある吉野家周辺の道路が激しく渋滞したところがあり、
駅員が吉野家の行列を整理するところもあったらしい。
牛丼1杯食べるのに1時間かかったとか。
その後吉野家からお知らせがあり、
なるべく車での来店は控えてください。希望する人には1週間有効な無料券を配布。メニューを一部限定 することを発表。
au三太郎の日、第1弾は
マクドナルドでした。
たくさんお客が押し寄せるだろうと予想し、それなりの対策をとってました。
吉野家はしっかりした対策をしてなかったのね。
大手携帯3社の歴史をウィキペディアで調べてみました。
まずはauから。 一部抜粋。
1985年の通信事業の自由化により、自動車電話事業への初めての新規参入で、
トヨタ自動車グループと京セラグループが名乗りを上げる。
1987年にトヨタグループの「日本移動通信」、京セラ・DDI系の関西セルラー電話が設立、
日本移動通信(IDO、イドー)とDDIセルラー系地域会社で自動車電話、携帯電話事業を展開。
IDOが関東・東海/甲信地方を担当し、
これ以外の地方(北海道・東北・北陸・近畿・中国・四国・九州・沖縄)をDDIセルラーグループが担当。
2000年7月に両グループのブランドを「au」(エーユー)に一本化後、
同年10月にDDI、KDD、IDOの3社が合併して「KDDI」発足。
DDIセルラー系地域会社については関西セルラー電話を存続会社として、
沖縄以外は同年11月「株式会社エーユー (au)」(本社は大阪府大阪市) として統合一本化(合併)した。
「株式会社 エーユー」は、翌2001年10月、KDDI本体に吸収合併。現在に至る。
auの由来は2つありました。
KDDIによると、
Access、Always、Amenityなどから“a”を、
Unique、Universal、Userなどから“u”を、
それぞれ組み合わせた造語。
(2000年5月第二電電、KDD、日本移動通信、関西・九州・中国・東北・北海道・北陸・四国・沖縄 各セルラー電話発表)
2018年でも確認できるのは、
携帯電話を介し、様々な人やモノとの出会いが生まれ、
その出会いを通じて全ての価値が集い合う世界の実現を「『会う』に始まり、『合う』に行き着く」ととらえ、
auの2文字でシンプルに表現した。
ブランド開発会社ZYXYZによる。
携帯電話のソフトバンクの原点は、
日本国有鉄道(国鉄)が分割民営化するのに先立ち、
1986年(昭和61年)に国鉄の鉄道電話事業の継承を目的として設立された
鉄道通信株式会社(JR通信)である。
その後、1989年(平成元年)に旧国鉄が新電電子会社として設立した
日本テレコムを吸収合併し、JR通信は日本テレコム(2代目)へ改称した。
日本テレコムは1991年(平成3年)に携帯電話(移動体通信)事業に参入するため、
関東甲信地方・東海地方・近畿地方地域においてデジタルホングループを設立。
北海道、東北地方、北陸地方、中国地方、四国ならびに九州ではデジタルホンとして単独では参入せず、
1994年(平成6年)に日産自動車系のツーカーと共同出資でデジタルツーカーを設立。
1997年(平成9年)からデジタルホン・デジタルツーカーの共通のブランドとして
J-PHONE(ジェイフォン)を制定。
2001年10月筆頭株主である日本テレコムが英ボーダフォングループの傘下となった事に伴い、
J-フォンもVodafoneグループへ。
2003年11月にジェイフォンはボーダフォン株式会社へ社名変更を実施。
2006年10月1日商号をソフトバンクモバイル株式会社に変更
最後に、NTTドコモ。
1968年(昭和43年)7月1日に日本電信電話公社が移動体通信サービスポケットベルを開始した事が
NTTドコモの起源となる。
電電公社民営化後の1990年、政府の措置として日本電信電話株式会社から
移動通信事業の分社化が決定し、
1993年7月の分社化とともに「NTTドコモ」のブランドでサービスを行なっている。
2008年(平成20年)7月に各地域会社を合併し、全国1社体制となり現在に至る。
トヨタ自動車の販売店にauの店舗があるのは、KDDIの筆頭株主だから。
昨日の2月5日深夜から2月6日の朝方にかけて、ソネットブログにアクセス障害があり、
ブログを更新できませんでした。
午前3時過ぎに1つの記事に多量のアクセスがあり、どこからかまではわかりません。
そんなにソネットブログにアタックしてくる必要が?
将棋の藤井聡太5段、次回の対戦は師弟対決が早くも実現。
どうなるのかな。
前の記事、2月6日は日経平均株価が大幅安。7日も大波乱になるのか。