--2020年5月19日以前の記事で画像が障害により表示できてません。--
1947年(昭和22年)登場のたま電気自動車 日産追浜工場ゲストルームにて。 [鉄道・バス・そのほか乗り物]
日産自動車の株主だったころに、追浜工場(おっぱまこうじょう)の
株主限定工場見学の抽選に当たったので、行ってきました。
なおすべて、2012年6月の撮影です。
この工場も、2017年9月に発覚した無資格検査をやってたのかと今思うと、
残念だし、株主総会の通知に「質問用紙を入れてきた」のは一体なんだったのか?
いくつか株主総会の記事を書いてますが、
「質問用紙を入れてくる」のは日産自動車だけです。
株主総会で質問したいことを、事前に書いて質問できるという日産独自の仕組み。
たぶん記憶の中では、株主総会の会場で質問したい人のための受付が入口にあったと思います。
たしか、2回くらい行ったのかな。
カルロス・ゴーン氏が社長だった時代で、最初の挨拶だけ日本語で、
その後は英語かフランス語?で同時通訳のイヤホンをつけて聞いてました。
とにかく言い訳が多かった印象でした。
無資格検査問題はゴーン氏の責任問題にもならないのかな。
話が脱線しましたが、工場見学は株主総会とは別の日に行われました。
神奈川県横須賀市にある追浜工場、京浜急行の追浜駅下車。
駅前のようすはごく普通のところだったと思います。
バスにのらず、追浜工場入口まで歩いて行ったのが
後日筋肉痛になったのを覚えてます。
追浜工場入口
小さく「追浜工場50年」の幕が。
ゲストホールのみ撮影できました。
工場内は撮影禁止。
ゲストホールにあったのが今日のタイトルにしている、
たま電気自動車。
最近電気自動車が盛んに開発販売されてますが、
実は、第二次世界大戦前から電気自動車は開発されていて、
戦後の一時期タクシーなどとして使われたと案内板に。
「たま」の名は、戦前の立川飛行機が開発した電気自動車にまでさかの
ぼります。地名から採用された車名(ブランド名)は、たま電気自動車、
たま自動車、そしてプリンス自動車工業へと変遷をへて日産自動車に
移ります。たま電気自動車が登場した1947年(昭和22年)は、終戦直
後だけに物資や食料だけでなく、深刻な石油不足に見舞われていまし
た。しかし、電力供給には余裕があったため、政府は電気自動車の生産
を奨励しました。こうした時代に誕生した「たま電気自動車」はカタロ
グ性能を上回る航続距離96.3km、最高速度35.2km/hを記録し
高く評価されました。1950年(昭和25年)頃までタクシーなどに使われ
ましたが、電気自動車(EV)が戦前から開発され、戦後も日本の道を
走っていた事実が、EVの意外な歴史の古さを物語ります。
さすがにバッテリーは鉛で、最高速度が若干低めかなとは思いますが、
当時はあの速度でも大丈夫だったのでしょう。
航続距離が結構あるのには驚きです。
たま電気自動車の車内。
うしろ側。 時代を感じさせます。
いまこういうデザインでも受けるかも(受けないか・・・)
撮影してませんが、工場見学のほかに、
日産スポーツカーGT-Rの加速体験(運転は日産の方)や、
ビュッフェ形式の軽い食事などがありました。
午前と、午後の部と分けてたのを覚えてます、たぶん午後の部だったのでは。
帰りは、駅までバスで送迎していただき、お土産もいただきました。
日産自動車の株式はすでに無資格問題が出る前の2015年くらいに売却済みです。
2012年のことなのに結構覚えてました。
株主限定工場見学の抽選に当たったので、行ってきました。
なおすべて、2012年6月の撮影です。
この工場も、2017年9月に発覚した無資格検査をやってたのかと今思うと、
残念だし、株主総会の通知に「質問用紙を入れてきた」のは一体なんだったのか?
いくつか株主総会の記事を書いてますが、
「質問用紙を入れてくる」のは日産自動車だけです。
株主総会で質問したいことを、事前に書いて質問できるという日産独自の仕組み。
たぶん記憶の中では、株主総会の会場で質問したい人のための受付が入口にあったと思います。
たしか、2回くらい行ったのかな。
カルロス・ゴーン氏が社長だった時代で、最初の挨拶だけ日本語で、
その後は英語かフランス語?で同時通訳のイヤホンをつけて聞いてました。
とにかく言い訳が多かった印象でした。
無資格検査問題はゴーン氏の責任問題にもならないのかな。
話が脱線しましたが、工場見学は株主総会とは別の日に行われました。
神奈川県横須賀市にある追浜工場、京浜急行の追浜駅下車。
駅前のようすはごく普通のところだったと思います。
バスにのらず、追浜工場入口まで歩いて行ったのが
後日筋肉痛になったのを覚えてます。
追浜工場入口
小さく「追浜工場50年」の幕が。
ゲストホールのみ撮影できました。
工場内は撮影禁止。
ゲストホールにあったのが今日のタイトルにしている、
たま電気自動車。
最近電気自動車が盛んに開発販売されてますが、
実は、第二次世界大戦前から電気自動車は開発されていて、
戦後の一時期タクシーなどとして使われたと案内板に。
「たま」の名は、戦前の立川飛行機が開発した電気自動車にまでさかの
ぼります。地名から採用された車名(ブランド名)は、たま電気自動車、
たま自動車、そしてプリンス自動車工業へと変遷をへて日産自動車に
移ります。たま電気自動車が登場した1947年(昭和22年)は、終戦直
後だけに物資や食料だけでなく、深刻な石油不足に見舞われていまし
た。しかし、電力供給には余裕があったため、政府は電気自動車の生産
を奨励しました。こうした時代に誕生した「たま電気自動車」はカタロ
グ性能を上回る航続距離96.3km、最高速度35.2km/hを記録し
高く評価されました。1950年(昭和25年)頃までタクシーなどに使われ
ましたが、電気自動車(EV)が戦前から開発され、戦後も日本の道を
走っていた事実が、EVの意外な歴史の古さを物語ります。
さすがにバッテリーは鉛で、最高速度が若干低めかなとは思いますが、
当時はあの速度でも大丈夫だったのでしょう。
航続距離が結構あるのには驚きです。
たま電気自動車の車内。
うしろ側。 時代を感じさせます。
いまこういうデザインでも受けるかも(受けないか・・・)
撮影してませんが、工場見学のほかに、
日産スポーツカーGT-Rの加速体験(運転は日産の方)や、
ビュッフェ形式の軽い食事などがありました。
午前と、午後の部と分けてたのを覚えてます、たぶん午後の部だったのでは。
帰りは、駅までバスで送迎していただき、お土産もいただきました。
日産自動車の株式はすでに無資格問題が出る前の2015年くらいに売却済みです。
2012年のことなのに結構覚えてました。
石油はまだまだあるという説もありますが
我が家の近くにはFCVのステーションもあります。
車の燃料はしばらく複数の時代が続くんでしょうね。
by いっぷく (2017-11-06 01:01)
65Kmも走れたんですね。
確かに、驚きです。
by tsun (2017-11-06 10:49)
カタログ値が65kmに対して、実測で航続距離96.3km。今とは考え方が違うような気がします。スカイラインを生んだプリンスの前の名前が「たま」だったとは初めて知りました。(勉強になります)
by えくりぷす (2017-11-06 13:44)
「オッパマ」には、中学時代の同級生が、中卒で就職したので、当時から、地名だけは知っていました。
by ヨッシーパパ (2017-11-06 18:51)
なかなか面白いデザインですね~
by とまと (2017-11-06 21:47)